「山干飯 小字のはなし」 18 上黒川(かみくろかわ)下黒川(しもくろかわ)

以下の内容は、白山読書会のメンバーによって昭和61年12月に出版された「山干飯 小字のはなし」の内容をデータ化して公開しています。

上黒川(かみくろかわ)下黒川(しもくろかわ)

現在は上黒川、下黒川の二つに分れているが、昭和初期までは黒川区と称しており、区長総代をおき、二年交代で上黒川、下黒川で選出していた。土地台帳地番は上黒川、下黒川を一括し通し番号となっている。

上黒川には、春日神社、乗秀寺、下黒川には八幡神社、敬覚寺がある。乗秀寺、敬覚寺は共に西本願寺派で、敬覚寺は元和年間(一六一五~二四)寺号を許された。

明治六年十一月、敬覚寺に守真(しゅんしん)学校が開校されたが、それ以前に現在の下辻氏宅(小字大田)あたりに寺子屋があり、読み、書き、そろばんを習ったと言われている。

明治十九年に下由原に軍思小学校が、都辺、上杉本、曽原、粟野、小杉、牧、若須、中野、萩原、黒川の児童を対象に設けられた。

一、小字名

1 ゆきどおり(行通)

2 あざみたん(薊谷)

3 くちさんだ(口三田)

4 もろやま(モロ山)

5 なかやじろめ(中八代目)

6 おくさんでん(奥三田)

7 くちつきがさ(口月笠)

8 おくつきがさ(奥月笠)

9 ぐちやじろめ(口八代目)

10 おくやじろめ(奥八代目)

11 さかのした(坂ノ下)

12 くちまたん(ロ俣谷)

13 おくまたん(奥俣谷)

14 とりげたん(鳥毛谷)

15 すぎのたん(杉ノ谷)

16 ひのつめ(樋ノ詰)

17 うしろかど(後門)

18 たけのつめ(竹ノ詰)

19 おおみがいち(近江垣内)

20 あかさか(赤坂)

21 のどくぼ(喉窪)

22 じようがたん(城ヶ谷)

23 かまのふち(鎌之渕)

24 じんでん(甚田)

25 どうのたん(堂ノ谷)

26 つきだ(月田)

27 にしはざま(西狭間)

28 ひがしはざま(東狭間)

29 しもひがしで(下東出)

30 おくで(奥出)

31 おくしようぶつだん(奥正仏谷)

32 しようぶつだん(正仏谷)

33 ひがしじり(西尻)

35 しもにしで(下西出)

36 かみにしで(上西出)

37 だいざ(大田)

38 しもよしはら(下由原)

39 かみよしはら(上田原)

40 どうのした(堂ノ下)

41 はかんたん(墓ノ谷)

42 みようきんたん(妙金谷)

43 かんじょう(勘定)

44 さくらまち(桜町)

45 かまやたん(鎌屋谷)

46 しもかめたん(下竈谷)

以上下黒川

47 ひらばやし(平林)

48 こうぜん(光善)

49 こたん(小谷)

50 たかぎ(高木)

51 もりのした(森の下)

52 ゆどだん(湯戸谷)

53 てらんたん(寺之谷)

54 ほそだ(細田)

55 しいり(尻)

56 とくざね(得実)

57 おくだ(奥田)

58 おくやま(奥山)

59 たにのおく(谷之奥)

60 ひがしで(東出)

61 さんだんだ(三反田)

62 むかいいなば(向稲場)

63 なかはた(中畑)

64 ろくしかだん(ロクシカ谷)

65 みづきがはな(水木ヶ塙)

66 おおたに(大谷)

67 いものたん(芋之谷)

68 もりなが(森永)

69 くぼた(久保田)

70 ながお(長尾)

71 きただん(北谷)

72 とちのきだん(栃木谷)

73 むながたん(六名ヶ谷)

74 きたのまえ(北ノ前)

75 かどさき(門前)

76 とうげ(峠)

77 まつのきだん(松木谷)

78 かまがたん(鎌ヶ谷)

79 かみ(上)

80 じんでの(甚出野)

81 すがはな(菅塙)

82 まごやま(孫山)

83 いたのたん(板之谷)

84 かやお(萓尾)

85 こだけ(小嶽)

86 とりげ(鳥毛)

87 こだけうしろ(小嶽後)

88 いぬのたん(犬ノ谷)

89 うしぎ

90 さかのしり(坂之尻)

91 さかのわき(坂ノ脇)

92 つつみがたん(堤ヶ谷)

93 てらやしき(寺屋敷)

94 なしのきだん(梨木谷)

95 かのさ(鹿之佐)

以上上黒川

山林(下黒川)

96 ひがしあざみだん(東薊谷)

97 ひがしつきがさ(東月笠)

98 こやがだん(小屋ヶ谷)

99 ねごやたん(寝小屋谷)

100 ひがしとりがたん(東鳥ヶ谷)

101 おくで(奥出)

102 みようきんたん(妙金谷)

119 みなみよしはら(南由原)

120 あいのきだん(相ノ木谷)

121 にしじようがたん(西城ヶ谷)

122 にしゆきどおり(西行通)

山林(上黒川)

103 なかはた(中畑)

104 もりなが(森永)

105 きただん(北谷)

106 まつのきだん(松ノ木谷)

107 よこがだけ(横ヶ嶽)

108 とうげ(峠)

109 こだけうしろ(小獄後)

110 いぬのたん(犬ノ谷)

111 さかのわき(坂ノ脇)

112 とりげ(鳥毛)

113 みなみたんおく(南谷奥)

114 にしさかじり(西坂尻)

115 てらやしき(寺屋敷)

116 かのさ(鹿ノ佐)

117 おくのうえ(奥上)

118 こうぜん(光善)

二、小字のはなし(下黒川)

1 行通 安養寺に通じており黒川の一番北にある。

2 薊谷 薊谷の一部にかくれ畑と言う地名が残っており、その昔、年貢の取りたてがきびしかった頃、お上に内緒の畑を耕し飢えをしのいだと伝えられているが、一説では敵が攻めて来るのをこの地にかくれていてつかまえ、喉窪の地で喉をしめて殺したとも伝えられている。

15 杉ノ谷 杉ノ谷の一部に蛇谷(じゃだん)と言う地名がある。水が多くきれいで、昔、大蛇がいたと言われる。今はただの蛇が多く棲んでいる。

20 赤坂 赤土の土地で、昔は作物があまりとれなかったそうである。

21 喉窪 薊谷のところと関係が深い土地である。

22 城ヶ谷 昔、お城があったと伝えられている。近くの山に塩千杯、うるし千杯を埋め、白つづじを植えたと伝えられ、その山が前野氏所有の山で、先代が数人の人と探したが見当らなかったそうである。

2 5堂ノ谷 昔、お寺があったと伝えられている。数年前まで下黒川の火葬場であった。

41 墓ノ谷 村の墓原であったそうである。

32 正仏谷 敬覚寺のあるところで、その奥が奥正仏谷。

33 東尻 用水路の下に当る。現在生活改善センターがあるが、以前はここに米を集荷する村の倉庫があった。

34 西尻東尻の北西に位置する。

29 下東出 下西出に対する川むこう東側の山べたを言う。

86 鳥毛 112鳥毛 現在でも人家近くまでつぐみがとんでくる。

三、いいつたえ

◇妙金谷と鍛冶屋敷

文化十二年(一八一五)刊の越前名蹟考に、黒川村上下二ヶ村に分居、下黒川朶鍛冶屋敷とあるが、現在の下黒川にはその名はない。今の堂の下と言われるところを、昔の人は鍛冶屋垣内と言っていた。

語り伝えとして、小字妙金谷地籍は下黒川地籍のはずれで、現在の中村氏宅の上の山の方に位置し、その平地に昔鍛冶屋が四、五軒あり、栄えたという。明治以前この地のかじやは、白山でも古いのかじの集団であったようだ。

現在は畑になっており、柿の木が多く植えられている。(明治以後、そこより一谷離れた奥出地籍にのかじが二軒ばかりあったのを覚えている人がいる)

二、小字のはなし(上黒川)

47 平林 黒川の入口に位置し、山すその平な雑木林であったためこの名がついていた。今は田畑になっている。

52 湯戸谷 春日神社の西側に位置し、浅い谷であるが豊富な水が出るところからこの名がついたらしく、雪どけも早かった。

53 寺之谷 お宮さんの東の谷、もともと敬覚寺の山があったためにこの名がついた。

54 細田 今は的場(まとば)とよばれている。昔は弓のけいこをした所で、また、ここに牢屋があった。五輪の塔も出てきている。黒川では一番いい田があるところである。

55 尻(しいり) 道の下の方にあるからこのように言われ、今は宅地が一番多い。

56 得実 上黒川の乗秀寺の付近を言う。

57 奥田 在所の奥にある田。

58 奥山 在所の奥にある山。

5 9谷の奥 谷の奥にある。

60 東出 在所の東の方に出っぱっているところからこのように名づけられたらしい。

61 三反田 面積の広さから大きい田の総称で実際はもっと大きい。

62 向稲場 南向きの日当りの良いところで、段々に稲架が作られ、稲はもちろんのこと昔この地の特産であった麻、いぐさもかけ干されていた。

63 中畑 在所のまんなかにある畑。

65 水木ヶ塙 昔から水の豊富なところであった。

66 大谷 大きい谷であったが、今は森永ダムで水没

67 芋之谷 この谷も水没した。

68 森永 森として大きいこの谷を総称していい、谷の口の方にあり、この奥に芋之谷、大谷がある。70長尾山の尾が長いのでこの名がついた。

72 栃木谷 昔、栃の木がたくさんあったらしい。後にツグミ山があり、尾根より猟師が安養寺の譲葉よりこの谷へ水を汲みにおりた道があったが、今は入山する人もなく荒れてしまった。

74 北ノ前 北谷の前にある。

76 峠 松ノ木谷をへて安養寺、また日ノ向へ行く道に通じていた。黒川川の源流はこの峠から出ており、小杉で天王川に合流している。溜池がある。

77 松木谷 やせ地で松の木がたくさんあるところ。昔から黒川松といって、ヤニが出ないことから珍重がられ、今でも家屋の建築に使用され有名である。

安養寺譲葉-松ノ木谷-峠これは昔から、安養寺へ通ずる道であったが、急な道であったのでここに広域農道を通すためトンネルをほり、昭和六十一年五月十日貫通式が行なわれ、縁起のいい譲葉トンネルと名付けられた。

78 鎌ヶ谷 昔、谷に窯場があり、瓦や瓶がつくられ昔はこの窯を書いていたのではなかろうか)

また、小銭(一二〇〇年前のもの)が二、三〇枚出て来て今も保存されている。このことから職人がここに住んでいたものと推察される。

79 上 在所の上の方に位置している。

80 甚出野 田の中の出っぱった畑。今は耕地整理して大きいになっている。

81 菅塙 三つの川が合流している沼地で菅が多く茂り使いものにならなかった土地。

84 萱尾 萱が多く茂り、萱刈り場であった。

85 小嶽 鬼ヶ嶽、横ヶ嶽の続きにある山。

90 坂之尻 昔沓掛へぬける道で、沓かけ坂といった。近くに、9坂の脇の小字もある。

93 寺屋敷 三〇〇年前鹿佐寺という寺があったが、その後どこへ移ったかわからない。今、乗秀寺の山がある。

三、いいつたえ

◇黒川について

昔から、「嫁にやるなら黒川村へ、高は千石、寺二ヶ寺」と言われたほど昔は遊びがなかったので、寺詣りが唯一の娯楽であり、お米はたくさんとれるし、遊び場もあり、たいへん良いところと言われていた。

また、小曽原の金刀比羅さまへおまいりするとき、今庄方面から来る人もこの字を通って行かれたとのこと。

◇上黒川副碑の由来

これは昭和三年白山小学校前の台地に忠魂碑の副碑(戦死者の名前が書いてある)として建立されたものである。終戦後、小学校校庭の土手の中に埋められていたが、昭和四十二年県道路改良工事施工中、前野工務店(代表者前野栄松氏)が掘り出して、昭和四十五年五月に出身地上黒川のバス停前に、(地籍光善)建て直したものである。毎年旧盆には、黒川町乗秀寺の住職をお招きして供養されている。

◇一人で歩けぬ道

上黒川へ入る道は繁っていて、おそろしいところなので、ある人が夜同じ道を何回もそこで往きかえりして朝になったとか、また、多くの人があぶらげを取られたりするので、この道を通る時は一人では歩かなかった。

◇森永ダム

昔から上黒川は水のないところで、土地改良(昭和五十七年)と共に大谷、芋之谷、森永を埋めダムを作った。このあたり一帯を森永と呼んでいたので森永ダムと名付けられた。潅漑用に使用されている。

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