「山干飯 小字のはなし」 17 小野(この)

以下の内容は、白山読書会のメンバーによって昭和61年12月に出版された「山干飯 小字のはなし」の内容をデータ化して公開しています。

小野(この)

古書「足羽社記」には当地に継体天皇の皇女小野雅郎女が居住されたので小野と呼ぶようになったのではと記されている。しかし、旧幕時代松平藩に所属した慶長時代の文書には木野村と記帳されている。

この地にある神明神社、曹洞宗の地蔵院については白山村誌に記載されているが、そのほか岩山金比羅宮が神明神社境内正面左の小高いところに祀られている。昔は集落北側平等地籍の山上に祀られ、七月十日祭礼、その他若連中(今の青年団)等によりにぎやかに催され崇敬されていたが、明治の中期現在地に遷宮、祭礼はその日に継続されている。

この集落は吉野瀬川の下流に位置し周辺が高く、あたかもすり鉢の底にあるような形状にあり、周辺は山地で小盆地の耕地等も介在し面積は世帯数に比較し広大である。

このため昔は同じ吉野瀬川下流の平坦部の千福、高瀬、太田、北府等より年貢を徴し、共有入会山として薪刈、炭焼を認め、在住民も同じく生活の資とし耕地収入の不足を補った。

しかし、この制度は山地が荒廃するため、大正時代より分割、個人所有するようにとの勧奨により、昭和の初期入会権を有する平坦部、隣地の勝蓮花等に割き、残りを集落個人に測量分割配分した。この配分した耕地、山林に旧来の私有地最寄の耕地山林の字名を使用したが号数は別に定めた。旧来の私有山林は、昔入会山で肥沃な谷間の雑木を薪や木炭を焼き、その跡地へ杉や桧を植樹したため小面積の小字が多数ある。

一、小字名

1 おおはた(大畑)

2 なべどう(鍋堂)

3 とうげ(峠)

4 どうた(堂田)

5 ふたまた(二俣)

6 ひげ(比下)

7 しもだいだ(下鯛田)

8 なかだいだ(中鯛田)

9 だいだ(鯛田)

10 ひころく(彦六)

11 あかやま(赤山)

12 はんだ(半田)

13 のぞえ(野添)

14 うしづき(牛月)

15 おくつつみがたん(奥堤ヶ谷)

16 つつみがだん(堤ヶ谷)

17 いまでん(今田)

18 さがって(三月出)

19 ひがしやま(東山)

20 なかいなば(中稲場)

21 わりだん(割谷)

22 みじかだん(短谷)

23 ひよじ(日与地)

24 おおさか(大阪)

25 くまだ(熊谷)

26 ながたん(長谷)

27 くぼた(久保田)

28 げんだ(源田)

29 しりの(尻野)

30 かみがたん(神ヶ谷)

31 うつり(宇津利)

32 しみず(清水)

33 こだん(小谷)

34 ふくろく(福録)

35 ろばたけ(嫡畑)

36 どうのおく(堂奥)

37 ふたせがわ(二瀬川)

38 ひだりざか(左坂)

39 みようがだん(茗荷谷)

40 にたんだ(二反田)

41 げた(下田)

42 うめがだいら(梅ヶ平)

43 かしまわり(柏廻)

44 とうのうえ(塔ノ上)

45 びしゃみだに(比沙門谷)

46 びしゅみだんぐち(比沙門谷口)

47 かみごろう(上五良)

48 かやだん(可屋谷)

49 かみかはら(上河原)

50 みずかみ(水上)

51 なかみち(中道)

52 きただ(北田)

53 おばか(尾墓)

54 だいら(平等)

55 まえざか(前坂)

56 しもかわら(下河原)

57 しもごろう(下五良)

58 くちなし(口ナシ)

59 たかとうろ(高灯籠)

60 いちまいだ(一枚田)

61 てらだん(寺谷)

62 てらだんぐち(寺谷口)

63 もちこし(特越)

64 おおくぼ(大久保)

65 みずしり(水尻)

66 さかのたに(坂ノ谷)

山林

67 ひがしさかたん(東坂谷)

68 たいこいわ(太鼓岩)

69 みなみおおくぼ(南大久保)

70 たかお(高尾)

71 れいしと(石戸)

72 ひがんで(彼岸出)

73 おおくちなし(大口ナシ)

74 おしたに(押谷)

75 いわやま(岩山)

76 そなだれ(一伏三起)

77 ぼんのやま(盆野山)

78 そうろく(雙六)

79 よこがけ(横掛)

80 かしのきだん(柏木谷)

81 おやま(尾山)

82 ちょうし(銚子)

83 ちしゃがみね(知者ヶ峰)

84 かみびしゃみだん(上比沙門谷)

85 かみおおわた(上大畠)

86 しもびしゃみだん(下比沙門谷)

87 しんで(神出)

88 こうずがだいら(緒子平)

89 ふくろくくぼ(福録久保)

90 ごろく(五六)

91 じんでざか(神出坂)

92 ちのたに(一ノ谷)

93 くちかやだん(ロ加屋谷)

94 なかかやだん(中加屋谷)

95 おくかやだん(奥加屋谷)

96 せいりきやま(勢力山)

97 とちだん(栃谷)

98 みなみかみがだん(南神ヶ谷)

99 かじまだん(梶間谷)

100 ひだりのだん(左之谷)

101 くちうつりだん(口移り谷)

102 しもわるだん(下割生谷)

103 ずずがだん(象頭ヶ谷)

104 きだだん(木田谷)

105 かさくら(笠倉)

106 みまた(三俣)

107 かみつつみがたん(上堤ヶ谷)

108 おかめ(大亀)

109 わきのやま(脇之山)

110 きただん(木田谷)

111 ずずがだん(象頭ヶ谷)

112 ふかわん(不可腕)

113 なかのたん(中ノ谷)

114 わりだんぐち(割谷口)

115 みなみだん(南谷)

116 こうじがたん(糀ヶ谷)

117 とちだんじり(栃谷尻)

118す げんたん(菅谷)

119 おおかげたん(大陰谷)

120 かわじんで(河神出)

121 やはち(矢八)

122 たきだん(滝谷)

123 びりだんじり(秘理谷尻)

124 えのきだん(榎谷)

125 ほそくぼじり(細久保尻)

126 おくみようがだん(奥茗荷谷)

127 ひがしど(東戸)

128 いしど(石戸)

129 にしのてら(西野寺)

130 かめゆ(亀湯)

131 ししやま(獅々山)

132 おしたん(押谷)

133 ささおんの(笹尾野)

134 とちだん(栃谷)

135 ひだりだん(左り谷)

136 うつりだん(移り谷)

137 うるしばし(漆橋)

138 わりのだん(割野谷)

139 ぞうずがたん(象頭谷)

140 きただに(木田谷)

141 こやがたん(小屋谷)

142 おおがめ(大亀)

143 いまでん(今田)

144 つつみがたん(堤ヶ谷)

145 だいだ(鯛田)

146 かさくら(笠倉)

147 ふたまた(二俣)

148 あげだん(上谷)

149 おおくぼ(大久保)

150 たかお(高尾)

151 そなだれ(一伏三起)

二、小字のはなし

勝蓮花(以下<勝>と略記する)

1 滝之谷 2 滝の前は滝の周辺にある。

3 <勝>八反田 8 下八反田 44 二反田小野(以下<小>と略記する) 40 二反田は田の面積からつけられた。

11 〈勝>中道 51〈小〉中道は当時、集落中央道路周辺に宅地や田があったことからつけられた。

12 <勝>高灯籠 59<小>高灯籠は往時寺があったと言われる寺谷近くに灯籠があったと言われている。

13 <勝>三月出 13 <小>三月出は谷間の小盆地で陽当りが良く雪どけが早いので、旧三月早々にも耕せる田畑である。

14 <勝>堤ヶ谷 16 <小>堤ヶ谷 4 堤ヶ谷は同所1〈小〉堤ヶ谷に溜池が二箇ある地。

23 <小>日与地 雪どけが早いからこのように言われた。

23  <勝> 堂奥 36 〈小〉堂奥は小野神明神社の奥にあるところから名付けられた。

17 <勝>峠 3 <小>峠は小野から梅峰(現在のヒバリケ丘)へ越す峠付近であるところからつけられた。

45 比沙門谷 現在神明神社脇神として祀られている比沙門様が昔この地に祀られていたと言われている。この山地の奥口に、84 下比沙門谷 46 比沙門谷口 86 下比沙門谷があり、この比沙門様を集落に移す時運ばれた道筋に、91<小>神出坂 87 <小>神出 64 <勝>神出 65<勝>神出坂がある。

62 <勝>源相西野 63 源相東野 昔、この地に坂口地区勾当原町に所在する浄土真宗の還相寺があった。今もこの盆地の北側に鍾桜堂と呼ばれる丘がある。

49 <小>上河原 56下河原は吉野瀬川の川辺にある。

50 <小>水上 小野集落の上手にあり、小野川が上流からこの土地に流れている。

52 <小>北田 集落の北側に位置する宅地、水田を言う。

54 <小>平等 小野としては比較的広く平坦な畑地である。

61 <小>寺谷 129 西野寺 昔、大きな寺院があって近くに大鼓を備えつけた御堂があったと言われている。

68 <小>太鼓岩 57 <勝>太鼓岩等もある。

76 〈小〉一伏三起 151 一伏三起 現在は使用されていないが、近くに火葬場があり、その下に武生へ通ずる道路があった。そこは杉や竹が茂り夜間の通行を避けたものだが、帰りが遅くなった時などこわごわ通り、時々お化けに出会って、立ったり伏せたりほうほうの体で帰ったという話。また、送り狼に出会い褌を解き狼を近付けないようにして、立ったり伏せたりしてようやく帰ったという話もある。

こんな魔よけにと、一字一石経王塔(願主が拝礼しながら、小さく平たい石一つ一つに、ありがたい経文を一字ずつ書き建てたことから、こんな字名がつけられたのではなかろうか)を建てた。

また、こんな話もある。一伏三起の一角にお題目を刻んだ経岩があり、その奥の細い谷を経石谷と通称呼んでいるが、この経岩の由来について次のような言い伝えがある。

吉瀬川がこの箇所で大きくカーブしているため大雨などで川が氾濫して、通行不可能になることがしばしばあったが、あるとき高僧が対岸の岩に向いお題目を書くと、たちまち川向うの岩にお題目が刻まれたと言う。いわゆる投げ文字である。その後はこの地の水害はなくなったと伝えられている。

この岩が現在の県道に突出ていたため、道路改修の際取り除こうとしたところ、作業員がめまいをおこし作業が出来なくなり、やむなく設計を変更して川の方に石垣を築き道幅を広げた事実がある。

81 〈小〉柏木谷 今も柏の木が多数野生している。

83 <小>智者ヶ峰 集落西北側の奥地で、小野では海抜の高い山地で、昔仙人が住んでいたと言われている。

20 <小>中稲場 丘陵平地で陽当りが良く、昭和三十年頃までは、稲架(はさ)が多数作られたのでこのように名づけられたと思われる。

74 〈勝〉梶間谷と135 <小>左り谷との尾根を通称仏の尾と呼んでいる。これは坂口地区の上中津原町少林寺という寺があるが、小野町の壇家がこの尾根を越して、この寺に詣でたためこの名がついた。

三、いいつたえ◇仏の尾伝説

昔、明暦の頃であった。丹生郡白山村の小野区のお宮の社壇が、夜になるとぴかぴか光り、青い凄みを放ったので、夜はもちろん昼でさえそこを通る人がないようになった。

ある夜のことである。村の庄屋の枕元に仏様が現われて、おごそかに「今多くの人々を騒がせているあの怪しいものを拾ってきて、上中津原の徳泉寺へ納めてほしい。」とお告げがあった。同夜一方の中津原の徳泉寺へもお告げがあった。迎えに行ってくれとのことであったので、早速迎えに行くと、向うから総代が送ってくるのと、白山村と坂口村の境の大阪山で出合った。今もそのところを仏の尾と呼んでいる。

怪しい光を放ったのは、昔、白山村の勝蓮花に合戦があった時、加賀の一人の武士も加わっていたが、華々しく戦って身に十ヵ所以上の傷を負うたので、敵の刃にかかって死ぬより、自分で死のうと小野のお宮に入って社壇にお守仏としていた御名号をかけて自刃した。光を放っていたのは、その名号が下に落ちていたからであった。御名号を開いて見ると、「帰命尽十方無碍光如来」と書いてあった。この名号は御本尊として保存されてある。

Translate »