以下の内容は、白山読書会のメンバーによって昭和61年12月に出版された「山干飯 小字のはなし」の内容をデータ化して公開しています。
仏谷(ほとけだん)
糠口村の東南にあって、中山方面へ通ずる入口の西山麓にあった。丸岡の出村で明治以後武生街道が完備したため、県道沿いに転出し米口と合併した。現在お観音さんと呼ばれている杉林の丘に、昔白山神社があったが米口に移された。その西山麓には寺屋敷その他屋号に類する地名が残っていて、その跡からいろいろの器物の破片が出て来る。
京田寺という寺があって、付近に大きな石があり、その上で仏像を彫られたと伝えられている。その石は最近まで田の近くにあった。
奈良朝時代、泰澄大師がこの地に巡錫せられ甲楽城浦に行かれた時、浜辺に光っている材木をみつけられ、たぶん波にうちあげられたのであろうと思われた大師はこれを拾って持って帰られ、仏谷の日影という所の台石の上で木の仏像即ち観音様三体をお刻みになった。その一体を白山神社の御神体として祀り、一体は武生の帆山寺の御本尊となり、もう一体は奈良のある寺院に奉納されたとのことである。以来昭和の初期まで帆山寺の開山忌には毎年仏谷区の藤本氏が招待されたという。
一、小字名
1 よねぶつ(米仏)
2 みやのまえ(宮の前)
3 ふたくち(二タロ)
4 きょうでん(京田)
5 くちにしたん(口西谷)
6 おくにしたん(奥西谷)
7 ひかげ(日影)
8 ひのきだん(桧木谷)
山林
9 うえやま(上の山)
10 ひがしひかげ(東日影)
11 にしたん(西谷)
二、小字のはなし
1 米仏 米口と仏谷の合致している所。
2 宮の前 仏谷に白山神社があった。その前の辺りをいう。
3 二タロ 谷山の奥から流れる水を、米口と丸岡に分ける分岐点である所から二タロという。
4 京田 京田寺という寺があった。(時代不明)今も寺跡が平地になっている。
7 日影 南の方に山があり影になる。
8 桧谷 桧がたくさん生えていた。
三、いいつたえ
◇仏谷の狐
仏谷に白山神社があった頃の事である。当時は賭事が盛んであったので、神社のお堂の中ではその夜も相変らず村の人達が集まって、賭事に熱中していた。その最中、不意に入口の戸のクルリ(落し錠)をコトコトンといじくる音がした。皆はハッとして慌てて蝋燭の火を消し身を縮めていた。警察の手入れかと思ったのである。又、コトンコトンといじくる。暫くしてどうも様子が変なので一人が立上ってソッと戸を開けて見たところ、大きな狐があわてて逃げて行った。 昼間皆で追いかけた狐がしかえしにきたのだとわかって、皆は安心して又賭事に精出したそうな。