「山干飯 小字のはなし」 01 序

以下の内容は、白山読書会のメンバーによって昭和61年12月に出版された「山干飯 小字のはなし」の内容をデータ化して公開しています。

白山地区の地名(小字)を研究した読書グループの人たちの長年の労作がこの度刊行されることになりました。

地名の研究は戦前からもあり、戦後も地名に関する多くの出版もあります。谷川健一氏は地名研究所を個人でつくりました。この福井県版とも言うべきものは「うぶすな」という機関誌も刊行されています。今はなき柴田知明氏の『足羽という地名(明治書院昭和五八年)もあります。

武生市は既に武生市史資料編として「小字名一覧」(昭和五七年刊)を出版し、杉浦氏はこのことを地名学会で発表しました。武生市の小字の研究は全国的に知られています。ところで、この『小字名一覧」は武生市域の六千数百の小字を附図に記入されてあり所在場所も明らかとなるし、さくいんまであり、全小字名は、すぐどこにあるかさがし出せるという便利なものです。

しかし、この便利な「一覧』も単なる小字名が、地番順にならべられているにすぎなく、これを興味深く読ませる工夫はしてありません。今は亡き五十嵐與平氏が解題でその概要を説明してありますが、これのみで各地区の人たちは満足できないでしょう。そこで、これを、地区の人たちに親しみやすく読み物風に工夫して編集したものが、この本となったのです。このことは、まことに画期的なことであって、県内でも珍しい企画であって、読書グループのすばらしい成果でもあります。白山の地域に根ざした研究で、白山の地域で生活している者でなくてはできないものです。見て楽しい絵あり、伝説あり、一,二三八の小字名の由来あり、幼児から老人まで、誰でも理解できる親しみやすい構成となっています。きっと県内でもこれに刺されて、次々とこういう試みがなされることでしょう。先駆的な試みであります。

ここで若干、私の感想を加えるならば、地名(小字名)は、どうして誕生したのかとい素朴な疑問を誰しも持つでしょう。今日のように山野を歩くことが少くなってどこの山に、何が、いつ、いくとあるということは、だんだん知らなくなっている時代に地名が誕生したのではなく、初めは、地名も何もなく、唯毎日山野に動植物をさがし求めてくまなく歩いた時代、それは、縄文時代以前の石器時代、否旧石器時代にまでさかのぼるでしょう。山野から毎日の食糧を探し求めねばならない時代、それこそ、毎日その地域の変化がつかめ、地形や形状もよく把握されていたに違いない。あすこの谷には何があり、川の向うには木の実がある、川岸には、魚がいつ頃やってくるか、毎日、食糧をさがして生活していた時代、その地域の土地が手にとる様に知悉されていました。「地名の発生は必ずや人の生活における必要と便利に基づくものである上に、その地に生きる人びとの契約書なき合意と外からの快い承認と記憶によって保持されるもの」(『足羽という地名』二一頁)であるといわれています。その土地の地名が固定化し、何人もこの土地を知り、その地名に異をとなえず、必要さと、便利さとによって自然と地名が誕生していくものでありましょう。ナンビクァラ族は今猶アマゾン河の上流地域に二、三百キロの範囲をさまよいあるき、女は採集、男は狩猟の生活を続けていると人類学者川田氏は報告しています。こういう時代には文字はなく、唯地名は、どうしていたか単純な地名であり、自然の地形を重んじた名称が発生するでしょう。口から音として伝えられていき、どんな漢字もありません。発音が大切なのです。

武生市真柄の老人からシンゴという村の名を聞いたが、地図に地名はない、真柄のえだ村だという。漢字で今は、新宮となっています。武生市の『小字一覧』には新宮とかなづけていますが、(四八頁)私の聞いたのはシンゴでした。土地の古老が昔から呼んでいた言葉が一番正しい地名であると私は思っています。米ノ浦(越前町)もコメンダが昔からの呼び名であって、コメノウラといってはいないのです。『小字一覧」のさくいんには、平かなで統一してあって、たいへんよい。漢字が日本に輸入される迄は、日本人は、漢字をつかわず、発音だけで連綿として続いていたのでしょう。小字名はこのように、地域の人々の文化と歴史がこめられて受けつがれてきたものでしょう。

いま、われわれは、この小字名をたよりに、ありし日の人々の地域と文化、歴史をさぐろうと試みているわけです。

これがどこまで果せるか、永い努力が必要であって、この一端が白山地区の『小字」の研究にこめられていることをうれしく思うものです。

小字名はもともと、どこの土地でも太閤検地があって、この時にちゃんと、検地帳に記入されています。南越地方は慶長三年頃に行われています。わたしは、ある村の検地帳と明治の初めの土地台帳の小字を比較してみましたが殆ど同じでした。慶長時代の検地の折りに小字名ができたのではなく、もっと以前から小字名はあったのでしょう。ただ文字化されていなかっただけでした。民俗学者柳田さんも、その土地の名まえは、どう言っていたか、漢字でなく呼び方を聞けといっています。わたしの村の小字名に、

アミチ(雨落)
ジョガタン(城か谷)
キンナクボ(桐ヶ窪)

下の漢字はいつ誰がつけたのか、発音と漢字名はどうもしっくりしません。

アミチは網地とも網血ともかけるし亜道ともかける。ジョガタンは女が谷とか助が谷、条が谷、何んとでもかける。特に検地帳の頃の村役人が字が知らず、あて字でかいたりかなでかいたりしています。かなの方がよいが、下手な漢字を使っていては、先祖のつけた小字名がおかしくなってしまいます。

だから、小字名は漢字でなく、平かなが一番よいと思います。日頃考えていたことの一端をのべて序文といたします。

福井県史編さん委員(民俗部会副部会長)
鯖江市史編さん嘱託
刀祢 勇太郎

発刊にあたって

美しい自然と恵まれた環境に囲まれた白山地区、私たちが日常生活を送る中で、行政区画は切っても切れないものであります。

行政区画の単位名(都辺村、堀村、安養寺村等)の字名は、いくつかの小字が集合して、大字を形成しているものであり、土地改良、基盤整備により土地形態は変っても、小字名は後世に永く続くものであります。

白山読書会の皆さんが、昭和五十八年以来四ヶ年に亘り、こうした小字についての調査研究を続け、小字についての由来、小字にまつわる伝説などを編集し、発刊の運びとなりましたことは、ご同慶に甚えないところであります。

グループの方々の並々ならぬご労苦に対し、深く敬意を表したいと思います。

本書が多くの方々に愛読され、今後の地域発展の糧となれば幸と存じます。

昭和六十一年十二月
白山公民館長
清水 宇右衛門

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